03


気付けば外は暗く、俺はペンを置いて肩を解すように腕を回した。

「…今日の分は何とか終わったな」

処理し終えた書類を纏めて席を立つ。他に寮に持って帰る未処理の案件を鞄にしまい、…と。

その時、珍しく生徒会室の扉が外から誰かにノックされた。

室内の時計に視線を走らせれば午後六時半を過ぎている。

「清水か?」

この時間、生徒はとうに帰寮している。消去法で導き出した人物に、俺は帰る支度をしながら入れと促した。

そして、

扉を開けて入ってきた人物は俺の予想していなかった人物だった。

「こんな時間まで一人で仕事ですか、龍ヶ峰」

聞き慣れない声に、手を止めて振り返ればそこには。

「旗屋…?」

昼間、廊下で擦れ違っただけの風紀委員長が立っていた。

コツリ、コツリと、偶然に出会う以外で初めて旗屋の方から近付いてくる。

俺は旗屋の目をジッと見据え、旗屋もまた俺と視線を絡めたまま。

「………」

その真意を探るように見つめ合い、その視線一つで相手の全てを絡めとろうとする。

視界の端で旗屋の右手が持ち上げられ、その手がそっと俺の頬に添えられる。ゆっくり、輪郭をなぞるように下りていく指先に俺は瞳を細めて口を開く。

「旗屋…。俺を見くびるなよ。俺はそんなに柔じゃない」

「ふっ…、そう睨まないで下さい。俺が耐えきれなかっただけです…龍ヶ峰」

会話らしい会話を交わすのもこれが初めてに近い。なのに、旗屋の唇から紡がれた自身の名は妙に耳に馴染んだ。

そっと唇に移動してきた旗屋の指先を右手で掴み、その行動を止めさせて俺は口端を吊り上げる。

歴代風紀委員長の中でもこの旗屋 斎という男は異色だ。風紀を取り締まる機関でありながら、率先して風紀を乱している問題児・不良と呼ばれるF組と手を組んでいる。時には風紀の手先としてF組すら動かす。酷く恐ろしい男で、学内では常に恐れられていた。

だが、それも実力あってのことだと俺の中で旗屋への評価は高い。

「耐えきれない…か。お前程の男が?」

問い返した俺に旗屋はふっと何処か性質の悪い笑みを浮かべる。

「貴方が絡まれているんです、当然でしょう?それより明日の昼、食堂に来て下さい。そこで面白いものを見せて差し上げます」

「面白いものか…。俺を呼び出す以上、楽しいものなんだろうな?」

俺はそれに、掴んでいた旗屋の掌に唇を押し付け了承の意味で頷いた。

「えぇ、期待してて下さい」

するりと離れた手は潔く、共に追うことはしない。二人の間にそれ以上の言葉は不要だった。

ゆっくりと離れていく手に、落ちる沈黙。その音はコンコンと柔らかく鼓膜を刺激した。

扉の方に視線を流した旗屋をチラリと見やり、思考したのは一瞬。
俺は入れ、と一言応えた。

そして入ってきたのは。

「まだ仕事してるのか龍ヶ峰?もう帰…―っ、旗屋!?」

「清水か」

生徒会顧問の清水だった。
清水は旗屋がいることに驚いたのか扉を開けた体勢のまま固まる。

「呆けてないで入るのなら入って、扉を閉めて下さい」

「あっ、あぁ…悪い」

旗屋に促され部屋の中へと足を踏み入れた清水は部屋に入るなりちらちらと落ち着きなく旗屋と俺を交互に見た。

「龍ヶ峰…、何で旗屋がここに…?」

その様子に俺が旗屋に視線を投げれば俺の代わりに旗屋が面倒臭そうに口を開く。

「教師の癖に貴方も噂を信じている口でしたか」

「えっ…?て、何、もしかしてお前ら二人仲良かったのか?」

まるで怖いものでも見るかの様に恐る恐る尋ねてきた清水に俺は肩を竦め、旗屋はさぁと口端を歪める。

「俺の用件はそれだけです。明日、忘れないで下さい龍ヶ峰」

「お前こそ、俺の貴重な時間を与えるんだ。くだらないものを見せたらその首を飛ばす」

交差した視線に口許だけで笑って返し、いまいち話について来れない清水の横を旗屋は擦り抜け生徒会室から出て行く。

「ちょっと待て、明日って何だ?龍ヶ峰。旗屋は一体何しに…」

書類を入れた鞄を手に取り、喚く清水を生徒会室から出しながら俺は心の底から笑った。

「明日、あの男が動く」

それもこの俺の為に。
旗屋はわざわざそう宣言しに来た。
旗屋自身から告げられた言葉に俺の心は酷く浮かれた様に踊る。自然と零れる笑みを俺は抑えきれずにいた。




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